茶室の話〜ビジネスと茶道
茶室の話〜ビジネスと茶道
組立茶室の可能性〜「匠創庵」に込めた思い
ものづくり匠の技の祭典2021が12月18日19日に開催されました。オンラインのみで無観客ではありましたが、枯山水の庭と共に「匠創庵」を組立て、東京を代表する匠の方々との茶室談義で盛り上がりました。
「匠創庵」は日本の伝統の技を茶室を通して世界に発信するために、第一回ものづくり匠の技の祭典2016で発表しました。八畳広間+水屋+二畳台目小間の本格的な茶室です。
茶室の組立は4時間、造園に6時間かけて約10時間で完成します。
世界中どこでも海を渡って移動できるようにとオーシャンブルーのタイルで海をイメージして「匠創庵」は建っております。
ものづくり匠の技の祭典2021
https://www.monozukuri-takumi-expo.tokyo/
大工の技
茶室建築の主役はもちろん大工です。大工とは古くは単に木工事をする職人ではなく棟梁とも呼ばれ職方をまとめる長でした。「匠創庵」は時間の無い中で設計1ヶ月、施工約2ヶ月という短期間で完成したのは棟梁の技あってのことです。柱は杉の面皮柱を基本に錆丸太と磨き丸太、栗の六角ナグリ柱、コブシの中柱など銘木を使用。栗ナグリの土台に柱を立て、敷居、鴨居、廻り縁を順次繋いでいきます。床下地は組立スピードを上げるためボックス型として並べ畳を敷き詰めていきます。天井は軽やかに市松に竹を並べ、受けと欄間には47都道府県の透かし彫りを配置して、日本全国の匠が集結した茶室を表現しました。釘やビスは一切使わず全て枘組のみです。ちなみに2時間で解体移動できます。
左官の技
広間と水屋の聚楽壁はパネル毎に本聚楽を塗り、柱に溝を掘り差し込み壁としてあります。
先にパネル下地を造っておき、大工工程とは関係なくじっくり左官塗りができるようにしました。左官も下地が重要であり何回も下塗りをすることで割れにくい壁となります。
聚楽壁は、京都の西陣近くに秀吉が聚楽第を造ったときに使われた土です。本物の聚楽土は非常に貴重で現在ではあまり取れなくなくなってしまってます。
建具の技
小間の壁は組子の透かし壁であり、麻の葉(女)を中心に床の間壁を桜亀甲(男)です。
2万ピースの木片を組み合わせてできあがった組子壁に囲まれた空間から透けて見える風景は心静まります。障子の桟も杉の面取りとして繊細で粋な手技で。
現在の住宅では建具は既成品が当たり前になってしまってますが、本来建具は空間を構成する最も拘りたい要素であり匠の技です。
経師の技
襖には鳥の子と江戸唐紙を張ってますが、さらに重要なのは下地です。何層にも和紙を張り袋張りなどの技法も使い、表の襖紙の張り替えがしやすいような工夫し、和紙をカッターではなく繊維を残して裂くように切り、繋ぎ目の段差がでないように配慮しています。見えないところにこそ匠の技が随所に隠されております。
江戸小紋壁
今回初めてのこころみで、古い伊勢型紙から蝶と百人一首の型紙を選び、色の調合から決めて造った江戸小紋を経師壁として床の間廻りに取り付けております。伊勢型紙は彫る方も高齢となり現状で新しいデザインや図案が造れないほど厳しい状況です。襖壁や建具にも反物を使ったりして工夫して新たな可能性も生まれてくることを期待します。
太鼓襖
茶室の茶道口や給仕口などで主に使われる縁の無い襖ですが、両面に和紙を張りながらも木の骨組みが透けて見えるようにも造ります。引き手も塵落としや塵受けなど流派や好みに寄っても多少変わってきます。
タイルの技
海のさざ波をイメージしたオーシャンプルーのタイル床。30数枚のパネルに分けて製作して組み合わせております。小間の亀甲組子壁を見つめるモザイクタイルの亀も泳いでおりまさに海に浮かぶ茶室を作り上げております。
茶室にタイルを使うことは、通常はあまりありませんが、床や壁にゆらぎのあるタイルなどは非常に合うと思います。
庭師の技
いままで過去4回「匠創庵」の庭を造ってきましたが、今回は海外でも人気の枯山水としました。光月台から繋がる景石の島を浮かべ玉砂利で波を造り、蹲いまでの苔露地とは対照的ですが、滴をイメージした楕円形の庭にうまく納まりました。
枯山水(石庭)
枯山水の庭は石庭ともよばれ平安時代は庭の隅に石組みがある程度でしたが、鎌倉時代になり禅宗が日本に伝わると禅寺には本格的に石組みの庭が造られ、さらに室町時代には石や砂で水を表現した枯山水が完成していきます。枯山水は禅と結びつき瞑想の庭として好まれ多く造られてきました。有名なのは銀閣寺や竜安寺の石庭があります。
英語では「ZEN Garden」と言われて海外では非常に人気です。
露地
茶室の庭を露地と呼び、腰掛け待合から飛び石や延べ段を歩き中門を通り、蹲いで手と口を清め、席入りします。飛び石も二連打ちや三連打ち、千鳥など様々に打ち方があり歩きながら心落ち着かせ茶室への期待も高まる道筋です。
「匠創庵」の扁額は裏千家第十五代御家元であった千玄室大宗匠の命名です。まさに
匠が創造する庵です。様々な匠が結集してできあがった組立茶室「匠創庵」は世界へ匠の技を発信する役割と共に、これからの新たな茶室空間作りのヒントが詰まっております。
利休生誕500年後の茶室は・・・・
2022年は利休生誕500年の節目の年です。
利休の時代に茶室の形態はほぼ完成をみてその後もその時代の茶人が創意工夫を凝らせて創ってきました。ただ現代においては過去の写しや好みを参考にして造るだけで革新的な茶室が出てきていないことは非常に残念です。(ただ単に斬新な茶室はいろいろでてますが・・・)
利休は伝統の中に常に革新的な美の変革者であり、生誕500年のいまも生き生きと繋がっております。ただ今後利休の精神を次世代に繋ぎさらに500年の歴史を作っていくには現代の我々が革新的な美の変革者にならなくては伝統は滅びるのみです。
「匠創庵」のもう一つの思い 茶室をオフィスへ
コロナで我々の生活は一変しました。テレワークが一般的となりオフィスの在り方が変わってきました。いままでは集まって仕事をする場所でしたが、今後はビジネス交流や自分磨きの場になって行くのではないかと思います。そんな意味でもテレワークで出社しなくてスペースの余ったオフィスに茶室が求められてくるのではないでしょうか?「匠創庵」のような組立式であればオフィスの移転に合わせて臨機応変に移動が可能です。
その昔、豊臣秀吉は小田原攻めに金の茶室を持ち込んでおりますし、織田信長や豊臣秀吉が茶室を戦場の代わりにロビー活動の場として茶道を取り入れたことからも、現代のビジネスの場でも禅と深く結び付いた茶道は大いに生かされてくること間違い無しです。
特に海外からのゲストのミーティング前に一服のお茶でもてなし、瞑想や禅の精神を語り体験いただくと、すでにこちらに駒はあり商談も決まったようなものです。笑
また、昔は大名や武家・公家の方々が、お金に糸目を付けずに最上の仕事を依頼して、職人も「これでもかって」自分が持っている技以上の仕事をしてきたので日本の伝統の技は磨かれ発展してきました。その役割をこれからはビジネスの世界で活躍する若い世代が担っていくことが日本文化の発展に繋がります。明治時代には益田鈍翁を筆頭に財界で活躍していた方々が茶道を嗜み文化を築いてきました。大河ドラマ「青天を衝け」の渋沢栄一翁も飛鳥山の邸宅に「無心庵」という茶室を持って、政財界の方々を招いてはお茶会を開いております。特に有名なのは、徳川慶喜公の復権を果たすため、伊藤博文や井上馨、桂太郎、益田孝(鈍翁)を招いての明治38年7月22日茶会です。
今回は組立茶室「匠創庵」を中心になぜいま茶室なのか?とのお話をさせていただきました。
今後は定期的に茶室について、ディテールも含めてテーマごとにお話させていただきます。
楽しみにお待ちください。笑
茶室建築家 椿邦司
組立茶室の可能性〜「匠創庵」に込めた思い
ものづくり匠の技の祭典2021が12月18日19日に開催されました。オンラインのみで無観客ではありましたが、枯山水の庭と共に「匠創庵」を組立て、東京を代表する匠の方々との茶室談義で盛り上がりました。
「匠創庵」は日本の伝統の技を茶室を通して世界に発信するために、第一回ものづくり匠の技の祭典2016で発表しました。八畳広間+水屋+二畳台目小間の本格的な茶室です。
茶室の組立は4時間、造園に6時間かけて約10時間で完成します。
世界中どこでも海を渡って移動できるようにとオーシャンブルーのタイルで海をイメージして「匠創庵」は建っております。
ものづくり匠の技の祭典2021
https://www.monozukuri-takumi-expo.tokyo/
大工の技
茶室建築の主役はもちろん大工です。大工とは古くは単に木工事をする職人ではなく棟梁とも呼ばれ職方をまとめる長でした。「匠創庵」は時間の無い中で設計1ヶ月、施工約2ヶ月という短期間で完成したのは棟梁の技あってのことです。柱は杉の面皮柱を基本に錆丸太と磨き丸太、栗の六角ナグリ柱、コブシの中柱など銘木を使用。栗ナグリの土台に柱を立て、敷居、鴨居、廻り縁を順次繋いでいきます。床下地は組立スピードを上げるためボックス型として並べ畳を敷き詰めていきます。天井は軽やかに市松に竹を並べ、受けと欄間には47都道府県の透かし彫りを配置して、日本全国の匠が集結した茶室を表現しました。釘やビスは一切使わず全て枘組のみです。ちなみに2時間で解体移動できます。
左官の技
広間と水屋の聚楽壁はパネル毎に本聚楽を塗り、柱に溝を掘り差し込み壁としてあります。
先にパネル下地を造っておき、大工工程とは関係なくじっくり左官塗りができるようにしました。左官も下地が重要であり何回も下塗りをすることで割れにくい壁となります。
聚楽壁は、京都の西陣近くに秀吉が聚楽第を造ったときに使われた土です。本物の聚楽土は非常に貴重で現在ではあまり取れなくなくなってしまってます。
建具の技
小間の壁は組子の透かし壁であり、麻の葉(女)を中心に床の間壁を桜亀甲(男)です。
2万ピースの木片を組み合わせてできあがった組子壁に囲まれた空間から透けて見える風景は心静まります。障子の桟も杉の面取りとして繊細で粋な手技で。
現在の住宅では建具は既成品が当たり前になってしまってますが、本来建具は空間を構成する最も拘りたい要素であり匠の技です。
経師の技
襖には鳥の子と江戸唐紙を張ってますが、さらに重要なのは下地です。何層にも和紙を張り袋張りなどの技法も使い、表の襖紙の張り替えがしやすいような工夫し、和紙をカッターではなく繊維を残して裂くように切り、繋ぎ目の段差がでないように配慮しています。見えないところにこそ匠の技が随所に隠されております。
江戸小紋壁
今回初めてのこころみで、古い伊勢型紙から蝶と百人一首の型紙を選び、色の調合から決めて造った江戸小紋を経師壁として床の間廻りに取り付けております。伊勢型紙は彫る方も高齢となり現状で新しいデザインや図案が造れないほど厳しい状況です。襖壁や建具にも反物を使ったりして工夫して新たな可能性も生まれてくることを期待します。
太鼓襖
茶室の茶道口や給仕口などで主に使われる縁の無い襖ですが、両面に和紙を張りながらも木の骨組みが透けて見えるようにも造ります。引き手も塵落としや塵受けなど流派や好みに寄っても多少変わってきます。
タイルの技
海のさざ波をイメージしたオーシャンプルーのタイル床。30数枚のパネルに分けて製作して組み合わせております。小間の亀甲組子壁を見つめるモザイクタイルの亀も泳いでおりまさに海に浮かぶ茶室を作り上げております。
茶室にタイルを使うことは、通常はあまりありませんが、床や壁にゆらぎのあるタイルなどは非常に合うと思います。
庭師の技
いままで過去4回「匠創庵」の庭を造ってきましたが、今回は海外でも人気の枯山水としました。光月台から繋がる景石の島を浮かべ玉砂利で波を造り、蹲いまでの苔露地とは対照的ですが、滴をイメージした楕円形の庭にうまく納まりました。
枯山水(石庭)
枯山水の庭は石庭ともよばれ平安時代は庭の隅に石組みがある程度でしたが、鎌倉時代になり禅宗が日本に伝わると禅寺には本格的に石組みの庭が造られ、さらに室町時代には石や砂で水を表現した枯山水が完成していきます。枯山水は禅と結びつき瞑想の庭として好まれ多く造られてきました。有名なのは銀閣寺や竜安寺の石庭があります。
英語では「ZEN Garden」と言われて海外では非常に人気です。
露地
茶室の庭を露地と呼び、腰掛け待合から飛び石や延べ段を歩き中門を通り、蹲いで手と口を清め、席入りします。飛び石も二連打ちや三連打ち、千鳥など様々に打ち方があり歩きながら心落ち着かせ茶室への期待も高まる道筋です。
「匠創庵」の扁額は裏千家第十五代御家元であった千玄室大宗匠の命名です。まさに
匠が創造する庵です。様々な匠が結集してできあがった組立茶室「匠創庵」は世界へ匠の技を発信する役割と共に、これからの新たな茶室空間作りのヒントが詰まっております。
利休生誕500年後の茶室は・・・・
2022年は利休生誕500年の節目の年です。
利休の時代に茶室の形態はほぼ完成をみてその後もその時代の茶人が創意工夫を凝らせて創ってきました。ただ現代においては過去の写しや好みを参考にして造るだけで革新的な茶室が出てきていないことは非常に残念です。(ただ単に斬新な茶室はいろいろでてますが・・・)
利休は伝統の中に常に革新的な美の変革者であり、生誕500年のいまも生き生きと繋がっております。ただ今後利休の精神を次世代に繋ぎさらに500年の歴史を作っていくには現代の我々が革新的な美の変革者にならなくては伝統は滅びるのみです。
「匠創庵」のもう一つの思い 茶室をオフィスへ
コロナで我々の生活は一変しました。テレワークが一般的となりオフィスの在り方が変わってきました。いままでは集まって仕事をする場所でしたが、今後はビジネス交流や自分磨きの場になって行くのではないかと思います。そんな意味でもテレワークで出社しなくてスペースの余ったオフィスに茶室が求められてくるのではないでしょうか?「匠創庵」のような組立式であればオフィスの移転に合わせて臨機応変に移動が可能です。
その昔、豊臣秀吉は小田原攻めに金の茶室を持ち込んでおりますし、織田信長や豊臣秀吉が茶室を戦場の代わりにロビー活動の場として茶道を取り入れたことからも、現代のビジネスの場でも禅と深く結び付いた茶道は大いに生かされてくること間違い無しです。
特に海外からのゲストのミーティング前に一服のお茶でもてなし、瞑想や禅の精神を語り体験いただくと、すでにこちらに駒はあり商談も決まったようなものです。笑
また、昔は大名や武家・公家の方々が、お金に糸目を付けずに最上の仕事を依頼して、職人も「これでもかって」自分が持っている技以上の仕事をしてきたので日本の伝統の技は磨かれ発展してきました。その役割をこれからはビジネスの世界で活躍する若い世代が担っていくことが日本文化の発展に繋がります。明治時代には益田鈍翁を筆頭に財界で活躍していた方々が茶道を嗜み文化を築いてきました。大河ドラマ「青天を衝け」の渋沢栄一翁も飛鳥山の邸宅に「無心庵」という茶室を持って、政財界の方々を招いてはお茶会を開いております。特に有名なのは、徳川慶喜公の復権を果たすため、伊藤博文や井上馨、桂太郎、益田孝(鈍翁)を招いての明治38年7月22日茶会です。
今回は組立茶室「匠創庵」を中心になぜいま茶室なのか?とのお話をさせていただきました。
今後は定期的に茶室について、ディテールも含めてテーマごとにお話させていただきます。
楽しみにお待ちください。笑
茶室建築家 椿邦司